連休明けの感情

 連休明けは、厳密に言えば土日が明けただけでも、毎回憂鬱になってしまう。これだけ休みがあったのにかかわらず、何も成長していない自分を目の当たりにしてしまうからだ。もし、2日でたった一歩でも進むことが出来ないのだとすれば、何年休んでいたとしても、停滞しか待っていないと察してしまうでしょう。

 何かをやらなければという焦りだけがあると言う状態は、間違っていると言えるだろう。本来ならば、やるべきことがあって、でも、それを達成できないから後悔するのだ。今の僕はそうではなくて。延々と夏休みの最後の日のような、焦燥感だけをただ纏っている。ただ立ち向かうという決意だけをして、その術を知らないような。

 皆、自然と死から目を逸らしているようにしか思えない。日常生活の端々から死後の世界があるような、子と共にどこかで生きていけるような、そんな妄想をどこか信じてから彼らは平然としていられるのだろう。そうでなければ、平穏な生活などすごせるはずがない。だからこそ、ある意味では正解なのだろうな。僕にはそれができなかったけれど。明日にも死ぬかもしれないとわかっていて、死というものが本当にただ自分という現象が静止するだけだとわかっている人間はどれだけいるのだろう。