死に方に関して

 孫に囲まれて、平穏に息を引き取るのが幸せな死に方だとされていることに、直面することがちょくちょくあって、絶望しか抱かない。そんなこと、幸せな死に方だと思うなんて、自分で考えたことがないのか?

 まず、その前提がおかしい。もし、それが幸せだと言うのなら、今すぐにでも家族みんなを呼んで自殺でもすればいいじゃないか。孫っていうのは、何を指すんだ? 自分の血の繋がっている(笑)とかか? まず、本当は実子でないという可能性は? 実子であればいいのか? DNA鑑定しなければわからないことにどんな意味があるんだ? 鑑定でわかるのは確率であって、完全にそうである/ないことを判別はできないのに? 自分が世話していた過去があればいいのか? 家族であるということはそんなに特別なことか? 生活環境が同じで、生計が同じであったことがあるというだけなのに? 静かに死ねればそれでいいのか? やり残したことがなければいいのか? 暇そうにしている孫とか、仕事が忙しくてまだこれない息子とか、そんなことに思いを馳せながら死にたいのか? それが幸せな死に方なのか?

 馬鹿げている。

 何も考えていない。

 生きることも、死ぬことも。

 だから、そんな誰かが用意した幻想をそのままに受け入れることが出来るんだ。

 そんなのは、カルトと変わらないよ。

 幻想を抱いている人間が多すぎる。わかるよ、それを信じてしまうこと自体は。ただ、そんなのは中学生で卒業しろよってことだけが言いたいんだ。それに疑問を抱かないまま過ごしてきた数十年を、僕は否定せざるを得ない。そして、それが大多数だという現実も。どうして、完全に意味のない妄想を思い込んで人生を終わらせるなんていう、残酷なことが当たり前のようにできるのだろう。