イデアがあるものに関して

 アイドルというものがどうにも好きではなくて、その理由を考えていた。

 その理由の一つは、イデアというか本質のようなものがあるかというかなのだ、と思った。

 たとえば、ウルトラマンのステージショーを考えて見る。そこにいるのは、スーツアクターさんで、背景に宇宙が描写されていたとしてもそこは普通に地球上だ。でも、それはあくまで媒介でしかないと思うのだ。まるで、イデアがその裏にあるように。そこでは、本当に宇宙でウルトラマンウルトラセブンが話をしている。けれど、それを人間に見られるようにするために、このショーが催されている。そんな気がしてしまう。だから、仮にステージ上で齟齬があったとしても、それは本質を傷付けない。本質を上手く再現出来なくなっただけだと思う。これは僕が好きな類の創作のほとんどに言えることだ。映画で撮影機材が写ってしまったとしても、それはただのミスで、本質上ではそんなものはなく、それを想像することは容易だから、問題にならないと思うのだ。キャラクターが抱えている感情や設定は、そう定義されているがゆえに本物だ。それが作劇上は破綻しているように見えても、そうだとなっている以上はそうなのだ。

 しかし、アイドルは違う。それはあくまで、人間を商材としている。彼や彼女がその設定や見せているものと違う性質を持っていた場合、そのものが破綻してしまう。僕はそれを嫌がっているのだと思う。完璧にはなり得ないのだ。人間なんていう不完全な物体に概念を乗せること自体に違和感があると言っても良い。同じような理由は宗教、特に創始者に依存するカルトでも抱く。人間である以上、理想的であるなどあり得ないし、あるいは、それが定常的であるなんて、もっとあり得ない。生化学的に不可能なのだ。なのに、それに依存している。その信者たちの姿を僕はゾンビのようだと思ってしまう。理性がないのか、と。

 どうにも、この世に存在する物体に依存する姿を歪だと思ってしまうようだ。それは好きなグッズだったり、子供だったり、アイドルだったり、教祖だったりする。僕にとって、それらは同じ括りで、物理法則に縛られた不完全なものでしかない。逆に、運命や神々、魂といったオカルトを信じている人は、単純に知識と知恵が足りないと思っている。そんなものは、実在することがないとわかりきっているし、それ自体を信じる理屈も存在しないからだ。だから、僕は法則そのもの、概念そのものといったところにだけ、依存する余地があると思っている。そういう人の考えだけは理解できる。僕はそうではないけれど。