考えることに関して

 よく、考えすぎだ、と言われる。

 でも、これはおかしくないだろうか。もちろん、考えるか、行動するか、みたいな選択肢がある状況だったら、考えすぎるという意味は通る。考える前に行動すべきだ、という主張が出来るからだ。でも、そういうのが特になくて、考えるか、考えないか、という選択肢だったら、考える方を選ぶのが単純に良いと思うのだ。考えれば、考えるだけ、思考は先に進むのだから、より正しい方へと向かっていけるはずだ。確かに、要素がまだ足りなかったり、考えれば考えるほど間違った方向へ進んでしまうこともあるはずだ。でも、その場合は、考え方が悪かったり、考える要素が揃っていなかったり、と言った状態である。その時、悪いのは思考すること自体だろうか? いや、違う。上手く条件が揃っていなかったことが悪いのだ。思考すること自体に問題はない。より深く考えることが出来る。それが人間の明確な利点なのだから、人間である以上、その武器を積極的に使っていくべきだろう。その結果、不幸になって、自死するようなことがあったとしても、それは獣のような白痴のような人生を送り、幸せだと勘違いしているよりは、いいはずなのだ。少なくとも、僕はそう思っている。

 考えることに重きを置きすぎているのだろうか。その疑問を答えるためにも、僕は今日も考えている。毒にも薬にもならない、曖昧模糊とした思考だとわかっていながら。