科学的事実に関して

 僕は比較的、科学本を買って読むことが多い。意識だとか、生命だとか、進化だとか、人間だとか、そういうのがテーマになっている本だ。どうしてかというと、そういう、現代の人間の基盤になっていることが自明でなければ、あらゆることが決定できないという考えがあるからだ。

 だって、そうでしょう。ホモ・サピエンスがどういう生物なのか、なぜ生物が生まれ進化しているのか、意識とはどういうものなのか、生死とはどういったことを指すのか、といった基本となる事実がわからないのに、どのように生きればいいのか、幸せとはどういうことなのか、といった発展的な事実がわかるはずがないのだ。それは四則演算がままならない人が、微積分に挑もうとするぐらい、よくわからないことのように思える。実際に、これらの科学的事実は、人生観を大きく揺るがすようなことも多い。これらをしっかりと義務教育で教えることが出来れば、世の中はもっと良くなるはずなのになぁ。

 意外に科学技術というものは不自由で、しかしながら事実がわかってきているものだ。それをテレビだったり、人の又聞きだったり、といった媒体でしか接していないのは、正直に言って損をしているし、重要な選択において、致命的な誤りをしてしまう理由にもなりかねないと思っている。

 どうして、皆は疑問に思わないのだろう。この自分というものが、どういう物質の現象で出来ているのか、気にならないのかしら。僕はこれらの知識が全くない時、怖くして仕方がなかったけれど。五里霧中のように感じられて。ようやく、視界は晴れてきている。そこが何もない虚無の荒野であることが明らかになったとしても――それに気付かずに生きているよりはマシだと思うから。