家族の形態に関して

 世の中は不思議なもので、多くの人々は結婚すると子を成すらしい。そうでない人々も仕事を重視したかったり、病気だったり、金がなかったりが多く、持たないと決めていた夫婦は子なし夫婦の中でも一割に満たないそうだ。みんな、ちゃんと考えてないものなんだな。命のリレーがうんたらかんたらみたいな言説も流布しているほどだ。きっと、皆、自分で考えるのが面倒なのだろう。

 うちは至極当たり前に、論理的な結論として、夫婦ともに子供を持つつもりは皆目存在しない。そして、両者ともに一秒たりとも働きたくないどころか、出来れば家からも出たくないと来ている。僕はパソコンの前に陣取っているし、妻はこたつに住んでいる。ニート夫婦なのだ。これで珍しいとなるのだから、世の中は狂っていると思う。

 妻が言っていた。そんなに働きたいなら、働きたい人だけ働けばいいじゃん、それを押しつけないで、と。全く、その通りと言いたいところだが、彼らから見れば僕たちは社会の産業廃棄物でしかないことに注意して欲しい気もする。それが事実なので擁護しようがないので余計に。

 どうして、世の中の多くの人々は、子供も含めた他者のために、なんとなく、頑張ることが出来るのだろう。ここで、肝なのは、なんとなく、という部分だ。実際に、そうとしか言い様がない。それが自然で当たり前で社会的な使命だと確信している。なんとなく。本当にその意義を考え、疑義を浮かべた人間はほとんどいないようなのだ。不思議でしょうがないよなぁ。確かに進化的に考えれば、そういうことに疑問を抱かない方が生存に有利なのだが。現にここで疑う遺伝子は二つ途絶えるわけだし。

 幼い頃の僕は、本気で多くの人間はプログラムのようなものが動いていると思っていた。この僕のように意識のある人間はほとんどいないのでは、と。それは当然、間違っているのだけれど、幼子ながらに慧眼だったかもしれないと思ってしまうよな。この世界は狂気に満ちている。