ゲームに関して

 僕はゲームが好きだ。

 コンシューマもパソコンもカードもアナログも全部好き。おおよそ、ゲームと付いているものは全て好きだと言える。その大小はあれど。

 けれど、ゲームの勝敗に関しては、どうにも関心が持てないのだよね。

 もちろん、基本的には勝ちを狙いに行くし、負けるよりは勝つ方が楽しいことが多い。けれど、何かを犠牲にしてまで、勝ちたいとはとても思えない。

 たとえば、足の引っ張り合いをして、その挙げ句に勝つ、なんてことはしたくない。それならば、潔く、ゲームを終わらせたいと思う。ゲームの面白さを勝敗には求めていないのだ。僕はゲームに面白さを求めている。ゲームの設計に欠陥があって、それを突っついて勝ったとしても、別に僕は面白いと思わない。

 ある記事では、ゲームの練習は修行だとすら書いていた。一心不乱に訓練しろ、なんて。そこまでして勝ちたいのか、と衝撃を受けた気がする。

 きっと、僕の中ではゲームは楽しむためにあるという前提があり、それはそのゲームに関わる全ての人が楽しめるということを指しているのだ。アナログゲームのように、プレイヤーが目の前で集まっている場合はそれが顕著だ。僕が勝つことによって得られる面白さよりも、相手が負けることによる悲しみの方が大きいと察してしまった時には、どうしても加減のようなものが生まれてしまう。その時から、僕の目的はゲームに勝つことではなく、相手が楽しめることに変わってしまうからだ。

 そうでない人が、プロプレイヤーになるんだろうな。僕とはほど遠いことのように思える。

 ゲームの面白さに僕は惹かれている。それは凝ったシナリオであって、洗練されたシステムであって、勝負にではない。だから、きっと、僕は追い求めているのだろう。何かが存在する意味を。必要十分で完結された世界を。それはゲームの中にあり、小説の中にあり、映画の中にある。勝敗の中にはない。