スポーツの曖昧さが嫌い

 オリンピックに対して、別に何とも思っていないのだけれど、いつも以上に良い結果を見るとそわそわしてしまう。で、どうしてかと考えたのだけれど、これ、スポーツがフェアじゃないと思っていて、それが出ている気がしているからなんですよね。

 たとえば、単純に審判は本当にフェアに判定しているの? とか思ってしまう。日本でやっているから、いつもより日本人が多いんじゃないの? そういう環境で、微妙だけれど、ギリギリ相手の方に分がある、という条件でちゃんとフェアに判断できますかね? 前例を見ていると、あまり信用できない。そうでなくても、単純にホームで、しかも、このコロナ禍でめちゃくちゃ有利なんだから、その金メダルは本当に金の価値があるの? と思う。

 そういうところがめちゃくちゃ嫌いなんですよね。勝敗というきっちりしたものを決めるのに、あやふやさを持ち込んでいるのが気持ち悪い。その点、ゲームはコンピュータが判断してくれるから良い。最高だ。

 だから、勝っていたとしても、圧勝で、曖昧さが全くない、という結果でないと、懐疑的な視線がいつも紛れ込んでしまう。乱数や環境の差で、勝敗が決したのではないか、そう思ってしまう。

 思えば、こういった感覚は僕の結構根本に座しているらしく、環境がフェアに出来ないと感じたならば、自分が不利な立場でゲームなどもやることが多い。そういった状況で勝てて、ようやく、本当に勝てたと思うからだ。どうにも幼少期から公平さというものを重視している嫌いがある。