理由に関して

 僕は、それを選んだ理由がないというのが嫌なのだと思う。

 完全にランダムな世界を想像してみる。あらゆることが唐突に脈絡もなく、突発的に起こる世界。そこに意味を見いだせるだろうか。もちろん、意味なんてものは人間が生み出した概念、妄想に過ぎない。しかし、それすらも構築出来ない世界ならば。僕は大っ嫌いだと言えるね、そんなところ。

 だから、僕は物語が好きなんだろう。全ての物語が好きというわけではない。僕が一番好きな物語は無駄なものがなく、必要十分な要素だけで完結している作品だ。これは完全に因果関係のある世界なのだと思う。あらゆる要素に、理由がある。これはこうしないと成立しない、それはそうしないと矛盾してしまう、そんなまとまり。それが、最高に面白いのだと、僕は思っている。

 人間は、そこに意味、因果を見つけてしまう生き物だ。これは数多の実験結果が証明していて、意味のないことに耐えられないようになっている。たとえば、神経に電気を流し、強制的に腕を動かす。しかし、電気を流したことを被験者が知らない場合、被験者は無理矢理でも理由を作り出す。たとえば、手がかゆかったんです、と言ったように。そして、それは進化的に有利で、集団の生存を促す。世界は物理法則に支配されているから、こじつけだとしても意味を見出し、法則を見つければ未来の予測が出来るようになる。人間が物語を好む一端に、それがあると僕は思っているんだ。

 だから、意味の塊である物語が完全な作品の一つだと、僕は予測する。

 物語の世界はいい。全てのことに意味がある。主人公が過ごしてきた過去や、登場人物との繋がり、そして、対面する出来事。そのどれもが過不足なく、あるテーマを語るために存在している。

 しかし、この世界は? 意味が無く、混沌としていて、脈絡もなく、矛盾が山のように存在している。だから、僕は虚無感を払拭できずにいるんだ。世の中の誤謬を嗤い、でも、それを変えることが出来ないから、ただ、その歯車に巻き込まれ、自分もその一部と化していることに絶望する。

 それを繰り返して、僕は生きている。どんなに虚しいと感じたとしても、この肺が息を求めることは変わらない。