次に託すことに関して

 ここが違ったら、もっと共感できる人が増えるのに、と感じる箇所がある。僕がたびたび言っている虚無感、つまり人間はいずれ死に、何よりも自分が死んでしまうことに関してだけれど、それを言及する人はよくいるのだ。曲の歌詞とかにも普遍的に登場する。けれど、その次に続くものに、僕は違和感を抱かざるを得ない。

 それは、次に託す、という希望だ。

 ご存じの通り、NHKの動物番組「ダーウィンが来た!」なんかでも、最後は次世代に繋がって終わりということが九割である。それほどまでに、人間の感覚に染みついているのだ。我々は死ぬ。だが、よりよくなった世の中で、我々の子供たちが繁栄するだろう。そんな仮定。そうやって、脈々と受け継がれる血。そんなイメージ。

 けれどさ、これは妄想なんだよね。

 たとえば、多くの親が自分の子供に自身の分身、一部を感じているのだろうけれど、逆の人っていますか? 単純に面影があるとか、精神的な何かを引き継いでいるという以上に、自分の中に親の一部がいるって感覚を持っている人。いないですよね? 少なくとも、親が子に持つ印象ほどは少ないし、小さいはずだ。自分に適用すれば、その勘違いにすぐ気付くはずなのに、盲目的に振る舞って、事実に気付こうとしない。

 引き継がれているのは、DNAの情報であって、それ以上のものではない。もし、引き継がれていたからって何なんです? 貴方は死んでしまって、その現象はこの世に二度と再現されないのに。そもそも、情報的に言えば、確率的に兄弟と子供の一致率は同じはずで。子供に抱くその錯覚を、兄弟に抱けますかって話だ。

 全くを持って理論的じゃない。

 そもそも、多くの科学者が同意する未来によれば、人類は全滅するし、そうでなかったとしても、最終的に宇宙は滅びる。現代科学ではそこまでわかっている。ならば、仮にもし、その遺伝とやらが転生のような形で、次代に何かを伝えていくとしても、それは途切れてしまうのだよ。

 みんな、ちゃんと考えていないんだ。まあ、それをわかっている人は子供を産まないので、死んでいく。その遺伝子は途絶えていくのだから、当たり前と言えば当たり前だけれどさ。

 だから、僕の世界には僕しかいない。僕が良ければそれでいい。それは究極的に正しい意見なんだよ。でも、僕はそう振る舞えていない。それは幼年期から積み上げてきたものに、僕の理性があらがえていない証左だし、僕が臆病で、死ぬのが怖いがゆえに安全を選んでしまっているという話だ。

 この歪みを何とかしないと、僕の悩みの一部は解決しそうにもないが、僕の精神の骨子と化しているので、どうにかしないといけないと思っている。