普通に関して

 普通であることに対して、コンプレックスがある。

 なんか、他の人の過去の話とか聞いていると、何かしらエピソードがあって、ちょっと面白い家族構成や過去があったりして驚く。僕にはそんなものはないんだよね。本当にシンプルで平凡な人生しか送っていなくて……あまりの経験不足に泣きそうになる。

 別に天才だとか、幸せだとか、そんなものを望んでいるわけじゃないんだ。実際、その経験をしたことのある人が皆無だ、なんて経験は存在しないだろう。それはわかっている。けれど、日本では一千万人が体験したことのある出来事だけが過去にある人間と、百人だけが体験したことのある出来事がある人間とでは、自ずとその稀少度は変わってくるでしょう? それは文章や考え方に影響を及ぼし、考えがたい差となって現れてしまう。

 いっそ、ホームレスにでもなって、一家離散して欲しいぐらいなんだ、本当に。

 僕には誰かに誇れるような才能もなければ、情熱もないから、せめて貴重な経験だけは欲しかった。録でなくしの父親がいるとか。そうでなければ、普通の人生を送るのが嫌なだけの、ただの社会不適合者がいるだけになってしまう。

 僕がいつも焦りに駆られている一因だと思っている。エッセイやら旅行記で、人々の経験したことを見るたびに、僕は焦燥感を抱く。毎日仕事でだらけて、帰ってきたらゲームをやり、寝る。土日に少しお出かけをする。そんな一年を繰り返して、そのまま四十年が経ち、死んでしまいそうな気がしてしまうから。それでいいと、家族と食卓を囲めれば幸せだという精神構造なら、それで良かった。普通の一般人は、そうやって、一生を過ごして、白痴蒙昧のまま死んでいくのだから。

 けれど、僕にはそれだけは出来ないんだよね。そんな普通の人生に、なんら楽しみを見いだせない人間だと知っているから。だからと行って、特別な人生を歩めるほどの先天的な性格や才能がない。どうしても、安全を考えてしまう自分がいる。振り切れない、踏み込めない自分がいる。今、ここにいるのが嫌だというのなら、ただ荒野に出て行くしかない。そうわかっているのに、この二十年間の洗脳が、幼少期から構成された自分の普通な精神の土台が、それを狂気だと無謀だと呼び、身体を動かせない。

 ああ、そんなものに従っても、檻の中で死ぬだけだと理性はわかっているのに!

 結局、事実に従うしかないのだろう。僕はこのままでは死んでしまう。のたれ死ぬ可能性はあろうと、このまま自死を選んでしまうよりはマシだ、という現実に向き合う時が来た。

 僕は、どうにかその一歩を踏み出せる蛮勇が欲しい。