「この愛を終わらせてくれないか」がめちゃくちゃ好きな作品だった

 「この愛を終わらせてくれないか」という百合漫画がめちゃくちゃ良かった。かなりツボって、1巻試し読みから一気に最後まで行ってしまった。

 これで僕が百合漫画が好き理由が結構明らかになったな、と感じた。

 

 まずは、全方向性だ。たとえば、男女の三角関係だとすると、同性間の方には恋愛関係は基本的に生まれない。両性愛者が混ざる必要があり、そういった特別な文脈が生まれてしまうし、あまり多用できない。しかしながら、百合作品であれば、全員が何かしらの関係になる可能性がある。そういう、フレキシビリティがある。(よく考えたら、同性愛が前提になっているのもおかしな話だと思うが、BLも百合もそうなっているし、普通の恋愛漫画だって全員異性愛者を前提にしているのだから、何もおかしくはないな)

 

 次に、無段階性だ。つまり、異性愛では一般的に、友人→恋人→夫婦というような段階が設けられている。男女が仲良く遊んでいたとしたら、その2人はどの関係なの、ということが定義されるような傾向にある(まあ、これがおかしいと言えばおかしいのだけれど)し、何かしらの段階を進んでいく。もちろん、同性愛にも同じような段階を入れることはできるのだけれど、段階を入れないことも不自然ではない。よって、今がどの段階なのか、ということが明示されず、様々な意味を付与することができる。

 

 最後に、少数派であることだ。異性愛が自然なものと見なされている社会(つまり残念なことに現代日本など)を舞台にしている場合、百合作品であったとしても、同性愛に躊躇いを覚えるような描写が入ることがある。しかし、それでも、という感情があるからこそ、物語が動くのだ。つまり、単純に綺麗、カッコいい、以上の複雑で重い感情がメインになっていることが多く、その執着こそが、僕が求めているものなので、面白く感じる、というわけだ。

 

 なんというか、まとめてみると、どっちかというと、普通の異性愛作品の方がおかしいのでは、という気がしてきたな。本来であれば、これらの要素は、異性愛でも持ち得てもおかしくはないのに。