創造的作業

 作品から概念を抽出して、コネコネするのはきっと得意な方だし、だから、ゲームとか作品の本質を捉えられていない人を見るとイライラするのだが、一方で、それゆえに顕現化の能力が劣っているとも思う。

 何か創るってなった時に、自分の頭の中で概念として成立したところで、山場が終わってしまう。その後で、データつくったり、文章書いたり、というのは、些事であって、結局は微妙な差にしか残らないものをちまちまと作り、しかも、その全体が決まらないと、系がわからないから、部分としての評価ができない、というところがきつい。つまんねーのか、おもしれーのか、わからんない状態が長く続くのでストレスになる。概念として面白いのと、作品として面白いのは違うので、その細かい部分を詰めるのがやる気なくなっちゃうんでしょうね。AとBとどちらが良いのか、概念上(大まかな構成)ならはっきりとわかることも、細かい実装の話になると、色々な部分との重ね合わせによるので、全体を用意しないと判断できない。

 一方、顕現化が好きだったり、承認欲求が先だったりで、発表会に出たくて、先に場所を予約したり、当日に思いついた何かを仮でも作ったり、という人は、発表することに意義を見出しているのでしょう。それならば、完成せざるを得ないのだから、完成させられる。出来不出来はなしにして。そして、しっかりと、考えて創ってあれば、そのうち、スキルも向上する。そういう人が上達するんだろうな、と思う。完成した作品数に比例するとは思わない(実際に、スポーツ選手や音楽家の実力が練習量に比例しないように)が、同じぐらいのセンスや思考傾向の持ち主なら、量が多い方が勝つ。

 1000人に承認されたら寿命が長くなるとか、そういう世界にならないかな。自己の利益だけをみた時に、承認されることの利益が少なすぎる。