さらなる少数派化

 妻の友人が、子供を孕んだとのことで、うえーとなっていた。そりゃ、そういう歳だし、別に初めてというわけでもない(そもそも僕の弟はすでに2子の父だ)のだが、妻と特別仲が良く、かつ僕の高校のクラスメートでもあるということや、その人の親子関係というのが結構破綻している感じだった(のに、子供を持ったのか……)、というのもあって、なんか変な感じがしたのだ。

 ちょうど、DINKs(子供持たない夫婦かつ共働き)だと、文句を言われる、みたいな記事がネットに上がっていたので、それも合わせて考えると、子供を持つべきだと言う圧力は、なかなかに激しいものなのだな、と思った。その記事で面白かったのは、自分の意思から子供を持たないという選択をした、というと、嫉妬されることがある、という内容だった。やっぱり、薄々、子供が負担だということはわかっているんだな。それを回避している人たちはチーターのように思えるのだろう。社会の本質の一角には、騙し屋探しの側面があり、フリーライダー咎める性質がある。それが働くようだ。

 そんなに嫌なら、手放せばいいのに、とも思うが、それが手軽にできないから困っているのだろうね。子供を持つというのは、一般的に不可逆の変化であって、持った人生を歩むと、持たなかった人生を歩むことはできない。主観的には、片方しか経験ができず判別できないのだから、客観的な統計によって、その結果を測ってもらうしかないのだが、一般的な人々は意図的にそこから目を背けているのだろうな。

 歳を取るごとに少数派(親戚の集まりとかあると、何をやっているのか良くわからなくて端っこの方にいる大人たち)になってきているなぁと思って、それでもいいのか、ということを妻に聞いてみたら、生まれてこの方、少数派じゃなかったことがないので、気にならない、とのことだった。まあ、そうでしょうよ。そうじゃなきゃ、髪の毛を緑にしたりはしないでしょうし。僕も気にしない質なので、まあ、そうあるべくしてあるというか、こうなるべくしてなった、というような感があるな。