「クイーンズ・ギャンビット」の感想

 これで人気作とかギャグでしょ、という感じ。妻とここの話の流れが弱いみたいなことをずっと話し合っていた。2時間映画なら許せるが、1時間×7話のドラマとしては許せない。クソ。

 えーと、どこから話せばいいのか、という感じなのだけれど、まず、出てくる人が皆いい人なんですよね。まあ、これは人に関して変な猜疑心や嫌悪感を抱かないで済むっていう利点があって、現代的な作品では良く見られるものではある。けれどね、結局、こうすると対立が少なくなるんですよ。物語の障壁があまり発生しない。だから、この作品では、この人はいい人なの悪い人なのって、いう疑心をフックに話をかさまししている。これがイラつく。どうせ、2話ぐらいで、ああ、皆いい人時空なんだなってわかっているのに、主人公に害を加えるかも~みたいな揺らぎを変に出してくるので、その分時間がかかってイラつく。どうせ、そういうことをやって、反感を買う勇気はないのだから、そうならないことはわかっている。配信ドラマだからね。不快感を買うような真似はしない。

 だから、人間が原因で障壁が生まれない。なら、どうやって障壁が生まれるか。結果として、主人公が自爆する。僕はこっちの方がイラつくんだけれどな。勝手に自爆して、勝手に立ち直っている。しかも、自爆と立ち直りの原因が明確化されないので、すっきりとしない。

 たとえば、ラスボスを倒すキーも、協力という部分にあるのだけれど、今まで主人公はそんなに孤独だったか? ミッドでラスボスに一度やられた時も、孤独なせいで負けたのか? 違うでしょ。そう描写できてないでしょ。しかも、その後で、謎の勝利確定カットイン(天井にチェス盤)が入って勝ち。ご都合主義か? カットインのルールが明確化されてないんですよ。全然盛り上がらん。そりゃね、過去の強敵が表れてアッセンブルするのは好きですよ。もちろん、好き。全人類が好き。でも、それは指パッチンされて、タイムシーフして、指パッチンし返して、それでもサノスに殺されかけて、一度、リターンを意識から外して(まあ、そんなことにはならないけれど)、それで、万感のアッセンブルだから、身震いするほど感動するわけでしょ。薬と酒はやらんわ^^ってなった後に、電話が来て、研究してたんだ! とか言われても、はあ……って感じで、なんとも思わねえよ、アホ。そもそも、そんなに皆、主人公のこと嫌ってなかったでしょ、まあ美人だしってなっちゃう。もしね、これを効果的にするのなら、そもそも、挫折と復帰を1話ずつ前倒しして、主人公は復帰したけれど、皆が信じてくれなくて、拒絶され続ける、でも、挫けない主人公、というのを明確化すべきでしょう。そうすれば、主人公に愛想をつかした皆も、やっぱり信じるべきだったんだ、君はすごいよってなって、アッセンブルでしょ。葛藤がねえんだよ、全部。全編において。クソ。

 そもそもね、その前振りのラスボスに一度負ける奴だって、完全に自爆じゃん。あれで負けたってなっても、作中でも言われていたように、酔ってなきゃ勝てたんじゃん? ってなっちゃって、逆襲が綺麗に決まらないでしょ。せめて、前半は上手くいっていたけれど、劣勢になって、薬に頼ってカットイン、でも、負けた、とすれば、薬に頼らないクライマックスと対比になるじゃん。孤独だったみたいな方を強調したっていいし。そういうのもない。あいつがファム・ファタールなのはわかるけれど、なら、もっと話に絡ませるべきだろう。ポっと出で、後は全然出てこないし。マジで意味なし。ただの枷じゃん。主人公無双勢に配慮したんだろうけれど、敗北をきっちり書かないと逆襲時のカタルシスがねえ。

 こんな感じで無限に駄目出しができるので、もう駄目。結局、女優さんがかわいくて、衣装が良くて、下着姿とかにもなるから、皆見てるみたいな奴でしょ。話が面白くなきゃ、虚無なのに。