手なりは許されない

 創作における主人公の役割などを考えている時に、何の背景もなく、主人公が女性だったり、有色人種だったり、異性愛者以外だったりするのが、平等さのゴールであり、スタートであるなぁと思った。たとえば、「テネット」とか。ただ、物語的に言うと、難しいことではある。

 というのも、マイノリティを主人公にした場合、そうである理由が必要だからだ。物語というのは、あらゆる要素が理屈付けられている方が面白いので、どうしても、マイノリティを主人公とする場合、どうしてそうしたかの理由が必要になってしまう。ダイスを振って決めました、というのもいいけれど、傑作にはなりにくいだろう。

 そう考えると、むしろ、マジョリティを選択することにも、意味を求める、という方が良いのかもしれない。どうして、その主人公は男性の白人の異性愛者にしたのですか? なろう小説で言えば、どうして、その主人公は前世が無職で日本人で男性なのですが? 答えられる作品は少ないだろう。

 でも、本当はマジョリティを選んだことにも意味があるべきだし、そちらの方が面白いことは間違いがない。むしろ、それ自体をミスリードにすることだってできる。意味を付与できない場合には、設定を変えてもいいかもしれない。より完成度が上がることもある。

 当たり前であることに視点を向けるのは難しいが、そういうことにこそ、発見の面白さはある。気を付けて生きていきたい。