承認
この間、妻と話していたのだけれど、承認に対する事象というのは、欲求がある/ないと、周囲から承認されている/されていない、自身を承認している/していない、というものが一つ考えられると思う。
まず、承認欲求がある場合は、単純に行動原理としてそれを使う、使わないというもの。
次に、周囲から承認されているというのは、単純な事実として、その人が認められているかということ。それは主観的でもあるから難しいが、ある程度の信用を得ていたり、着目されていたりすることをそれと見てもよいだろう。
最後に、自身を承認しているかどうか。
実は、これが一番厄介なのではないかと思う。
承認欲求があり、周囲から承認されていないとしても、自身を承認出来ていれば、それは周囲の評価が悪い、あるいは、承認されるだけの成果が出せていないだけ、ということになる。いわば、努力すればよい状態だ。もちろん、認知が歪み過ぎると、周囲を逆恨みし始めるので、これはかなり危険な状態だが、健全に機能すれば、何かしらの行動に対するエンジンとなり得る。
しかし、自分自身を承認出来ていない場合、承認欲求があり、周囲から承認されていたとしても、それは本当の自分の姿ではない、とか、自身にはそこまでの能力がない、とか、そういう状態になってしまう。解決策は、自分を承認してあげることなのだが、そのような状態にあってもそうなっていない、というわけなので、お察しという感じ。
やはり、自分で自分を許してあげることが、一番大事なのだなーと思う。自分は大したことのない存在だが、唯一無二の存在だ、というのは両立しうるので、皆がそういうマインドになってくれないかなー