「MIU404」の感想

 正直に言えば、後半はまるっきり期待外れだった。4話ぐらいは最高に面白いと感じられた瞬間だろうか。簡単に言ってしまえば、各回の話は面白いと思うのだが、全体の話がつまらない。いくつか明確な問題点があると思うので、挙げていきたい。

 

 まず、物語のメインとなっている問題定義がいくつかあるが、作品の、主人公たちの、答えがないのだ。

 初めに、人は光にも闇にもちょっとしたきっかけで落ちてしまうというもの。これはおそらく、メインのテーマになっていて、主人公たちが言及するし、ラスボスもそういう存在だった。しかし、ここには明確な問題点があって、それは、警察は何かあってからでないと動けないというものだ。もちろん、凶悪な犯罪を防ぐ、ということはできるが、軽微な犯罪は起こっているわけで、それを持って救えるとするのはどうなのだろうとも思う。このテーマと、警察という組織が噛み合っていないのだ。敵も敵で、特に何らかの信念があって、それをやっているわけではなく、ジョーカーのような敵としたかったのかもしれないが、そこまでのカリスマも出せていない。最終回の幻覚オチも、結局、陣馬さんが目を覚ましたということがきっかけで分岐しているが、なら、幻覚の時は目を覚ましていないのか? それはただの運なのでは? と思ってしまう。テーマに則していない。いっそのこと、それこそコイントスのような運の要素で分岐しているのなら、正義や悪からの手招きはあるが、結局は運次第であるのが現実である、というテーマにもできただろうが、そうでもない。むしろ、それは否定されている。何が作品のアンサーとして用意されているのかが全くわからない。理屈が通らない。

 次に、しかし、救えない存在に対してはどうするのかという問題があった。例えば、師匠の回で、再販を繰り返してしまい、ついには恩師すらも殺しかけ、その妻を殺してしまったような犯人や、それを殺すと覚悟した師匠、あるいは、ラスボスのように、価値観を一般社会と共有できない存在、これらは全て、警察が救うことのできない存在だ。現在の法案や制度では、救うことができない。彼らをどうするのか、という問題に決着がついていない。師匠の話も宙ぶらりんで、中途半端に最終話に出てきて終わりだ。

 各回のテーマや問題、アンサーは比較的ちゃんとしていたにもかからわず、全体としてのそれが弱すぎて、気になってしまった。もちろん、このアンサーというのは、本当の社会問題に対する回答である必要は全くない。それが簡単に出せないから、社会問題になっているのだ。そうではなくて、作品としての、主人公としての、回答は必要だと思う。そうでないと、どうして主人公たちがあのクライマックスを迎え、エンディングにたどり着けたのかが、わからなくなってしまう。

 

 合わせて、なぜ、彼らが主人公になっているのかもよくわからなかった。

 シマも相棒殺しと名はついていたものの、それは誤解であるとすぐにわかってしまって、ただの切れ者というだけだし、その相棒も、運動能力が高く、勘が鋭いというだけの存在となっている。そういうタイプの相棒なら無数にいる。テーマに則しているとも思いにくい。

 それならまだ、陣馬と九重を主人公のタッグにして、変わっていく現代技術と、それに追いついていない警察、変わらない人間の善意と悪意、といったテーマにすべきだと感じる。実際、作品のギミックはそういうのを活用した方向の方が強いわけだし、前述した結論を出すのが非常に難しいテーマに言及して、中途半端になることも避けられる。タイトルにも似合っているし、良いことが多いと思った。

 

 日本のドラマとしては、レベルが高いのだろうな、というのは感じられたのだが、エンターテイメントにあふれる現代で、わざわざ11回×1時間を消費してまで観る作品ではない、というのが今のところ、僕の結論だ。