言語の定義

 言葉の定義に細かい。相手の言わんとしているところが上手く理解できないことも多く、その○○というのは、こういう意味で話していますか、というのをよく聞く。逆に他の人たちは結構勝手な思い込みで文言を解釈して動き始めることがあって、そんなに僕と価値観が共通であると確信しているのはどうしてだろうと良く思う。

 そうだ、僕は人々が断絶しているという感覚がある。思想のプロトコルさえ違う人間が山のようにいる。同じ言語をしゃべっていても、たどたどしい外国語の交流よりも接点を築けない人間がいる。だから、何かの話をする時は、その言葉の定義が気になってしまう。そもそも、それはこういう使い方で使ってますか、という風に。

 それはきっと面倒なことだし、そんなことを気にしてしまうから、交流のコストが膨大になって、誰とも話さなくなるのだろう。でも、それでいいのかもしれない。これだけ生きてきて、もう交流が可能な人間はそんなにいるわけでもないとわかってしまったし、もう死ぬだけなのに無駄な労力をわざわざ支払おうとも思わない。周囲を見ていると、周りの人間を気にすれば気にするほど、社会に溶け込めるが、その分気苦労を負っているようにしか見えない。このままでよい、と肯定しかけている自分がいる。これが歳をとるということなのだろうな。