エヴァTVシリーズの感想
妻がシン・エヴァンゲリオンを観られるように、との配慮で、ヱヴァを観た。その流れで、結局、エヴァも観たのだが、心底面白くない。そうなるだろうと思ってはいたが、妻もそう感じたようで、どうしてそうなのかと論争した。結果として、いくつかわかったことがあるので、まとめようと思う。
まず、話がシンプルに過ぎるが、設定が複雑すぎる。物語構造の欠点としては、その一点に尽きると思う。テーマも人物の悩みもありふれたもので、いくつかの話の転換が終われば、シンプルなものだ。なのに、2クールやろうとする。だから、引き延ばしになる。常々思っているのだが、捻りの足らない作品はこういった末路を迎える宿命にある。まず、その数少ない捻りを終盤まで大事に取っておくので、どうしても間延びする。意味のないエピソードだけが積み重なる。次に、最後の最後に大事に放出するので、そこからの時間は足らなくなる。クライマックスは説明だらけになって、盛り上がらず、尻切れトンボで終わってしまう。単純に捻りが足りないゆえの悲劇だ。また、設定が多いのが、それに拍車をかけている。
次に、人類補完計画というテーマの根幹に近いものが、そもそも意味をなしていない。それが遂行された場合、人類は補完されて、一つの生命体となるらしいのだが、それがどういう状態かが明確化されていない。だから、碇シンジの選択が意味のあるものになっていない。例えば、友達の家に行ったら、飲み物は『コカ・コーラ』と『ガガゼゼガ』のどっちがいい? と聞かれても、炭酸が苦手だけど、なんだかわからないものよりは、なじみのある方が良いとしてコーラを選んでしまうことがあるのではないか。そういうもののように感じる。メリットとデメリットが明示されていないのだ。そもそも選択の余地があったかな、とも思う。
それにもつながるのだが、そもそもこのテーマが現実に即していない。(実写とかもあるので)現実的なテーマであることを主張しているようにも感じるのだが、実際はそうではない。別に僕たちは補完し合わなければ欠けたままで、他者を傷つけあう存在ではないのだ。だから、僕たちから見ても、補完だなんだと騒がれても、全然自分事にならず、興味がわかない。
総じて、エヴァや使徒などのデザインはかっこいいのだから、アクションは良いのだから、それをそのままやってくれればよいという結論にたどり着いた。まあ、そうでしかない。そうしたら、普通の作品として埋もれたままだった気もするが。この作品や、押井守作品などでも思うのだが、大仰にテーマを掲げるような作品ほど、科学的な事実をないがしろにしているから、前提がそもそも壊れていて、問いの体をなしていないということが多くて困る。人間が他人に依存したり、協力したり、裏切られたりという性質は進化的に身につけられていった性質であって、別に欠損でもなんでもなく、それで悩むことですら、ホモ・サピエンスに身についている脳の作用でしかないのだ。どうやら、リリンにとっては、それが大きな問題に思えるらしいが、ホモ・サピエンスにとっては共感できるものではない。