飢餓と愚昧

 今日は、追っている漫画の最新巻を読めた。相変わらず素晴らしい出来だった。「メギド72」の新メギドのストーリーを読んだ。出来が良く、面白かった。「カヴェルナ」を拡張入りでプレイした。100点という大台を超えた。楽しかった。でも、だからどうしたっていうんだ、という思いを消しきれない自分がいる。満足していない。何か、足りない。変えなければと焦る自分がいる。もう、自分でもよくわかっていない。よくわからないままに、飢餓感だけを暴走させている。

 いつからだろうか。物心ついてからかもしれない。自分のいつか訪れる死を認識してからかもしれない。今日という日を、どこか違うなと思って過ごしているのは。どこか納得がいかない。どうにも満足できない。不完全なままの無意味な一日が不意に終わってしまったという感想を寝る前に抱く。そして、その無気力感に押しつぶされたまま、一日を終える。朝起きた時から、今日も昨日と同じ不満を抱くと確信している。なぜならば、それが変わったことはないからだ。

 不満なく就寝できた日は、片手で足りるほどでしかなくて。いつも、こんなはずじゃなかったと思いながら、意識を失う。どうしたら、僕は満足できるのだろうか。何をしても、空を切っているというか、実感がわかないというか、どうにも手ごたえがない。かすかすのままだ。何もない舞台の上で、無様に手を振り回すだけの芸をしているような。何をしても、何を完成させても、誰に褒められても、どんな創作を消化しても、滑稽な感覚を消しきれない。

 この世界の出来事は全て茶番だ。結局、皆が死ぬのであれば、その間に起こったこと全てが最終的に意味をなさないのであれば、それは全部お遊戯のようなものだ。だから、それに浸るのが大事なのだろう。どうせ、斜に構えたとしても、それすらも舞台の上の、三文芝居に組み込まれてしまうのだから。踊る阿呆に観る阿呆というわけだ。一期は夢よ、ただ狂え。答えはわかっている。それでも、狂えないと自覚している人間は、狂う振りしかできない。本当に狂わなければいけないとわかっているのに、そんなことを考えている人間はそもそも狂えないのだ。大喜利ゲームを一人だけ真面目にプレイしているような、乗り切れない感覚だけが残る。どうすればいいのだろうと愚直に悩む。その時点で、悩みは解消しえないと直感的に自覚しながら。