理想の一日に関して

 理想の一日すら、僕は思い描くことが出来なかった。なるほど、確かにそうならば、理想の生活が思い付かないわけだ。どうすれば、僕は自分を納得させられるか、まだわかっていないのだ。どんな案を提出しても、心のどこかがそれに反対する。人間の意識はその実、統一されていない。右脳と左脳で考えていることは違うし、将来の夢も異なる。そんな中で、僕は理想の一時間ですら考えられる気がしない。こうすれば、完全に満足するという行為が思い浮かばない。

 物語を消化するのも、本当に好きでやっているのだけれど、それが理想かと問われると全く自信がない。楽しくない、つらいと思いながら消化していることも多い。すでに観て、面白いとわかっているものをプレイしている時でさえ、本当は新しい、他に積まれているものに取りかかるべきだという気持ちを消すことが出来ない。そんな迷いの中で生きている。絶対に死ぬとわかっているのに、大真面目にやっているこの茶番を、どうやって自分の中で消化すべきか、まだわかっていない。もう、齢も大台に乗ろうとしているのに。中学生が考えるようなことを延々と考えている。

 死ぬ直前まで、納得できないんだろうな。だって、そうだろう。こんな矛盾を納得してしまうなんて、それこそ死を間際にして分泌された脳内物質に敗北した証明に他ならない。理論的に答えが出ないのだから。