評価眼に関して

 僕は美がよくわからない人間なので、審美眼とは言えないのだが、その作品がどれだけ大衆に受けるのか、面白いと思われるのか、を判断する、評価眼みたいなものは割と質が良いと思っている。

 それを自覚し始めたのは、それこそ、小説を読み始めた時期のことで。「ハリー・ポッター」ブームから児童文学を読み始めたので、当たり前の話ではあったのだが、僕が読んで面白いと思った作品のほとんどに映画化決定などの帯が付いていることに気付いた時だった。もちろん、そもそも日本で翻訳されている時点で人気作であり、目に付く可能性が高くなっていたということはある。しかしながら、図書館で借りていたために、人気作がどれであるかはあまりわからないまま、しかも面白いと思った作品ばかりが本屋で目立っていたから、その感性がかなり大衆に近いということに気付いた。

 週刊少年誌をほとんど全て読んでいた時も、一話読んだだけでも、これは連載が続くとわかったし、実際に長期連載に至った作品がほとんどだった。周囲の評価の高い作品はほとんど好きだし、好きなキャラクターは人気投票で一位になる。MCUのようなシリーズもので採点しても、大抵は評価サイトの点数と一致する。なんというか、普通の人間なのだ。

 稀に、自分に合わない作品があっても、それが大衆から支持を受ける作品になるであろうことはわかる。個人的には割と気に入っているスキルだ。だって、これがあるからこそ、なにかを読んだ時、観た時、プレイした時、完璧になるまでに足りない部分が透けて見えるのだから。あまり作品を漁ろうとしないのも、この辺の気質が影響しているのだろう。僕がとても面白いと感じるような作品は、すでに大衆から面白いと評価されているだろうから。