目的がないことに関して

 目的がない人生を歩んでいる。それは、別に絶望とか目的が見つからないとかそういうことではなくて。ただ、目的を設定することが間違いだと思うから、目的を設定していないのだ。

 しかし、それがどうして、こうも辛いと気付かなかったのか。多くの人間は、なにかなんとなくの目的だとか、希望だとか、そんなものを胸に抱いて生きているのだろう。僕だって、昔はそうで、それは大学に入るとか、就職するとか、そんな大したものではなくとも、でも、そうなるだろうと思えたことだった。それ自体に希望があったとは全く思わないが、ただ将来がなんとなくのレンジでも定まっていること自体に効果があったようだ。今がつらくとも、未来はそうでない可能性が僅かでもある。少なくとも、変化するということがわかっている。将来が無設定の場合、今が全てなのだから、今、苦しいと思うことがすなわち、人生が苦痛だということと等号で結ばれてしまう。

 まあ、つまりは、将来のために今を犠牲にせず、今を生きるべきだという理屈がわかったのに、今までの生活をそのまま続けているから、矛盾が生じてしまっているのだろうな。ずっとそうやって生きてきた人間が、本当に気のままに生きていけるようになるまで、どれぐらいの時間がかかるのだろうか。