報酬の補正に関して

 脳は自分の置かれた理不尽な状況を補正する力がある。

 ある単調な作業をさせる実験を行い、Aグループには10ドル、Bグループには1ドルを与えたとする。この単調な作業をどれぐらい面白く思ったかを訊いた場合、Bグループの方が面白いと思う割合が多かった。つまり、満足な報酬が得られておらず、損をしているがために、面白かっただとか、為になっただとか、そういう理由で帳尻を合わせようとするのだ。

 これはかなり絶望的であって。でも、実際にそうなっていることが世の中を見ていればわかる。若い頃の理不尽な仕事は、後々の仕事のために必要だったと彼らは読解し、ブラック企業の社員はやりがいを感じると語る。そうしなければ、脳が満足しないがゆえの言及なのだ。

 つまり、自分自身の指標ですら、意味はない。客観的には損をしているほど、主観的には満足しているように感じてしまうのだから。客観的な現実は、死を導くことしかできないからと言って、主観的な現実に救いを求めても、結局はこうやって補正された幸福を感じることしかできないのだ。どうすれば、いいのだろう。本当に幸福なのは、こういったことを知らずにただ生きて、ただ死んでいくことのような気もするけれど。