英語の勉強

 珍しく英語の勉強をしっかりとしている。

 しばらく前から、死ぬことを意識し始めたということもあり、ぼちぼちやっていたのだけれど、一念発起して、1日2~3時間は勉強しようということにした。つまり、平日における自由時間とほぼ同等である。

 なぜそこまでするかというと、英語が出来ないせいでかなり歯がゆい思いをしてきたからだ。

 

 僕が初めて行った海外はハワイだった。その時、ある有名な海岸で遊び、バスで帰る予定だった時があった。日が落ちてきてから、そろそろ帰ろうと思い、バス停へ行くと……もう最終バスが出て行った後だったのだ。現地の時間でまだ17時ぐらいで、かなり有名な場所だったから、確認をしていなかったのがまずかった。呆然と立ち尽くしていると、目の前に車が止まり、なにやら説明をしてくれている。どうやら、バスはもう来ないし、次のバス停までは距離があるから、送ってくれるということを行っているらしい。アメリカの治安の悪さが僕の頭を過ぎる。しかし、他に手立てがあるわけでもない。歩くよ、とは言ったのだけれど、本当に遠いんだということを言われ、しぶしぶ車に乗った。その警戒を感じ取ったのか、彼女は自分のライセンスを見せ、このビーチのスタッフであることを告げてくれた。この時点で、警戒はかなり解けたが、携帯電話は握りしめたままだった。半信半疑のまま進むと、彼女の言った通り、かなり遠くにバス停があり、そこにはもうバスが留まっている状態だった。早く行った方がいいと言われ、何かお礼をと焦っている僕に、彼女は単純に良い旅を祈ってくれ、送り出してくれたのだった。本当に有り難い話で、これ以降、僕は海外の人を見かけたら、出来るだけ助けるようにしている。海外の地というのは本当に心細いものだと知ったからだ。

 しかし、コミュニケーションが出来ない。英語が出来ないものには、発言権がない。それ以降、海外に行くと(偶然にも全部英語圏だったこともあって)色々と伝えたいことがあったにもかかわらず、その一欠片も伝えられない。トラブルにあっても、片言で上手く対応するしかない。これがつらすぎて、海外の人とも交流したいというポジティブな情動と言うよりは、これがないと最低限の人権すらないというネガティブな情動として、英語を使えるようになりたいと思った。

 

 さらに言えば、拾える情報がダントツで違う。日本語化されていないゲームも多いし、映画もある。それらが出来るのは大きい。MTGの記事やボードゲームデザイン、プログラムや生物、物理の論文や記事など、英語でしか存在しない読み物は圧倒的に多く、それらにアクセスできなかったり、膨大な時間がかかるのは、本当につらい。ただただ、きつい。創作論が知りたいと思う人は基本的にアメリカ人なので、英語でしか発言の真意がわからない。これはだいぶ大きいハンデで、これをなくしたいと思っている。

 

 こうやって、まとめてみると、英語が出来るようになって、色々とやりたいというよりは、英語が出来ないからいろんなことが出来ないというネガティブな理由なのだなと気付いた。それだけ切迫しているから、モチベーションも今のところはあるのだろう。