掌にGoogleがあるという安心感

 この間、久しぶりに家族で集まった時に、ふとしたこと疑問が話題の中に含まれることがあった。たとえば、シャルドネと白ぶどうって何が違うの、とか。そんな時、弟がどうせ、僕が調べるからちょっと待っていよう、みたいなことを発言した。確かに、その時、僕はまさにそれをスマホでググっていたわけで、その内容を言った。思えば、僕は疑問に思ったことをすぐに調べないと落ち着かないたちで、スマホを手にしてからというものの、その調査癖みたいなものは加速していくばかりだ。

 それはどうしてかというと、その何気ない疑問こそが、非常に価値のあるものだと思っているからだ。普段、生活していても疑問に思わないことの方が多い。本当は何も知らないのに、知らないことにすら気付けないのだ。だから、ふとした拍子にそれが疑問という形を持つと、僕は嬉しくなって調べてしまう。また一つ、世界のベールが剥がせたように思えるから。妻もそんなタイプの人間なので、そこは馬が合う。理屈っぽい屁理屈言うなと両親からも嫌われるタイプの人間とも言うけれど。