毎日に関して

 毎日、毎日、同じことの繰り返しだ。それが本当に嫌になる。憂鬱になってくると、ひたすらに体調が悪くなってくるものだ。食欲がなくなり、味のついているものが本当に受け付けなくなってくる。雑音が不協和音を奏でているようで頭が痛いし、肋骨の間は魚の小骨が刺さってしまったかのようにチクチクする。視界に入ってくるどれもが煩わしくなって、この世から色なんかなくなればいいと思う。体は永遠に続くようなだるさに乗っ取られている。どれもこれも、代わり映えのない毎日を送っているのが悪い。そうに違いない。

 どうして、みんなは耐えられるんだろうか。僕は三年と同じ組織に属していたことがなく、必然的に交流関係も家族を除けば三年を超えることまずない。とにかく飽きてしまう。もう、その仕組みを理解して、あとは作業となった途端に、全てのことが煩わしくなってしまうんです。その先のことがわかりきっているのに、それを続けるとする。それは未来がわかっていることになる。その未来というのは、最終的には死だ。つまり、わかりきったことをやり続けるということは、死に向かう十三階段を登っているに他ならないと僕は思ってしまう。だから、本当につらい。

 どうしても、治りそうもない。本当は三年置きぐらいで職種を変えたい。会社とか職場とかじゃなくて、もっと大きな括りで別のことをやりたい。職場は数ヶ月だけ同じ場所でいいし、会社は一年ぐらいいれば十分だ。とにかく、かったるく、本質のないことを続けていくのが性に合わないんです。

 どうしてか、この社会は何か一つのことをやり続けて、極めることを前提に組み上がっている。引っ越しはあまりするものではないし、会社には勤め続け、毎日同じ電車に乗って、同じ定食を食べ続ける。正直、発狂しそうだよ、僕は。一ヶ月続けただけで飽き飽きしてしまう。どうして、そんな中身のない人生を送り続けることが出来るんだ? でも、本当の絶望はどんな仕事であろうとも、それが繰り返しの中にしか存在しないことだ。そうでなければ、成果が出ないから。だからといって、この苦痛の中に居続けるなんて、僕には到底、耐えられない。狂ってしまう。

 苦しい苦しいと言いながら暮らしている人や、くだらないと思いながら死んだ目で歩いている人はまだわかる。前向きに生き、家族や会社のために虚無の輪転機を回し続ける人の気持ちが本当にわからない。まだ、アンドロイドの方が人の心があるよ。

 どうしたら、その精神的自殺が出来るのか、聞いてみたい。いや、僕はしたくないけど。肉体的にも精神的にも死にたくはない。