それに色を与えているのは何か

 ゲームシステムや、物語の構造を解析しようとしていたり、自分で作っていたりすると、急に物事から色相が消えうせる瞬間がある。血の通った存在に見えていたものが、無機質なものにしか見えなくなってしまう。芳醇なゲームプレイが、ただの数字のやり取りに。血の通ったキャラクターたちの会話が、ただの情報のやり取りに。こうなってしまうと、その日はもう休むしかなくなってしまう。何度手を加えようが、再び色合いを取り戻した芳醇な存在に戻りはしないから。

 そういう単調さを、普段は感じずに済んでいる。ゲーム内で木を伐採し、木材を得て、それを消費して小屋を建てるという過程は、そのまま建築の体験に結びついている。ただ、何かをきっかけにして、そのテクスチャは剥がれ、Aを言う資源を管理し、その数字が上下するようにしか見えなくなってしまう。それはある意味で必要な能力なのだろうか。確かに、その瞬間があるからこそ、客観性を保ったり、全体の構造を解析したり、ということが容易になっているという側面もある。しかし、どちらかというと、その世界に没頭していたはずなのに、そこから遠くへ連れ去られてしまったような、面白いと思っていたやり取りの全てが茶番だったというような、そんな風に思ってしまう。特に自分で何かを作っている瞬間にそれが訪れると、今まで築き上げてきたはずのものが、急にハリボテに見えてきて、どこにも面白さが感じられないと思ってしまい、全てを投げ出したくなってしまう。結果として、それは完成から遠ざかる。

 何かに没頭し続けられる、何かを信じ続けられる、というのが才能というものの一側面なのだろう。僕は僕が作ったものでさえ、信じることができない。