休日

 ちょっと計算してみた。

 例えば、週5働2休の仕事に就くとする。有休や長期休暇があるとすると、年に働くのは240日程度だろう。簡単のために、年125日の休日とする。これは一般的には恵まれた数字と捉えられるのだろう。この場合、僕たちの定年はきっと70歳になっている。もっと長くなっている可能性も十二分にあるが、死にたくなるので考えない。そうなると、これまた簡単のために僕たちは30歳であるとすると、70歳までの40年間で5000日の休日があると考えられる。70~80歳の休日は……いや、考えないことにしよう。僕の周りにいる70歳以上の人は、自分が正常だと信じているボケ老人しかいないので、間違いなく僕もそうなってしまうから。僕は、この正常な理性を僕という現象の基幹と捉えているので、それがなくなってしまえば、それは僕であった何かでしかない。

 一方、週2働や週3働を考えて見る。年の休みは260日と208日だ。しかし、これは貯蓄も出来なければ、不測の事態にも備えられない。簡単のために50歳には死ぬとする。しかし、50歳までの20年間で、5200日と4160日の休日がある。前者は前述の想定よりも長い休日を得られるのだ! 後者はそれよりも短い。しかし、いくつかの違いがある。まず、金銭的な余裕がないと考えられること。そして、若い時の時間が長くなるということだ。前述の想定の場合、2500日は50~70歳の休日なのだ。60歳の休日って……死の準備でもするのだろうか。

 僕たちがこんなに働いている理由を、もう一度振り返るべきだと思うのだ。それが老後や子供、介護や大病のためだと言うのなら、僕は言ってしまおう。そんなものに備える必要はないと。意味がない。僕らはどうせ死んでしまう。国民健康保険は割と優秀であるし、生活保護もある。最悪、牢獄へと向かおう。そうして、生きていけるというのに、自分の欲求を殺し、働くことに意義があるのか。そんなことをしているから、自分のしたいことがわからなくなっていくのでは。鋤を捨てて、家に籠もろう。現代は、それがある程度許されている時代である。働きたくないけど、生きていたい。おおよそ、旧来の日本では考えられないことばかり考えている。