「少女☆歌劇レビュースタァライト」に関して

 ここ最近のアニメで、どうしてこれが一番刺さったのかということを考えていた。もちろん、作画や楽曲の良さが大きな要因の一つであることは明らかではある。でも、それよりも物語の構成とも言えるものが、一番大きいと思った。

 この作品には、大きな仕掛けが一つある。けれど、それは別に物語の根幹に関わるものではない。中盤に解決をみて、クライマックスに入ることには空気になってしまっている。その仕掛けの使い方が、僕は気に入ったのだ。

 僕の基本的な考え方の一つに、物語の構造は次第に進化していくものというものがある。たとえば、「君の名は。」の精神の入れ替わり。それは本来であれば、物語を一つ構成するのに十分なものだ。それこそ、入れ替わりものというのは多数にある。しかし、その描写は極端に少ないと言える。『私たち、入れ替わってる~?』からの決め事をして、ギャップを楽しんで、みたいなことはさながらPVのように過ぎ去ってしまう。それは十分に面白いものとして描写できるはずなのに。「Charlotte」の1話でもそれを感じていて、精神を交換するという超能力で学校生活を送り、自業自得な結果に陥る。それを1話だけで描写した。これはつまり、視聴者はその面白さを知っているから、描写を省略できると考えたのだと、僕は思う。その面白さは保証されたものではあるが、すでに見飽きたものでもある。一般化され、陳腐化されたものだ。だから、省略が出来る。そして、その先の構成へと時間を掛けることが出来るのだ。

 そして、「少女☆歌劇レビュー・スタァライト」でも、それと同じようなことが起きていると思った。しかし、こちらの方が一つ先の使い方をしている。「君の名は。」の入れ替わりは、さらに大きなギミックがあるとはいえ、鍵となるギミックの一つだし、「Charlotte」の超能力も1話とは体裁が変わるとはいえ、物語の根幹である。

 しかし、「少女☆歌劇レビュー・スタァライト」の7話で明かされるギミックは? 前述の通り、物語の根幹に関わらないのだ。それが歌劇というものの性質を示していて、テーマの一つになっていることは間違いないと思う。だが、メインのものではない。そもそも、監督が言っているのだ。最も何もないキャラクターだったから、このギミックを用意したと。

 これはもうすでに、このギミックは使い捨てをされるほど陳腐化、一般化しているということを指す。そして、その使い方をしていることに、僕は感心したのだ。どうしても、そのギミックは大がかりなものとなってしまうことが多い。一つのジャンルを形成し、名作が多いと言われているものだ。なのに、ミッドポイントを盛り上げ、中盤のテンポを上げるためだけに使って良い。そんな贅沢な使い方ができるようになってきたし、実際にこの作品はそうして見せた。

 これが、僕がこの作品を気に入っている一番の理由だと思う。

 だから、もし、2クール目があるのなら、これを超えた大胆な構成を期待してしまう。もちろん、実際にはそんなことにならないと思うのだが……

 もっと、自由に物語を創っても良いのだろう。面白いと思う要素を積み重ねて、贅沢に費やしてしまうような構成で良いのだ。そう思える。