虚無感に関して

 人生に、虚無感を抱いてきた。

 きっと、その始まりは小学一年生の時、ふと寝る前に死んだらどうなってしまうかを考えた時に遡る。その時、初めて、本当の恐怖というものを知った。怖すぎて、寝られなくなった。だって、そうでしょう? 眠ってしまったらそのまま起きることがないなんて。自分というものがなくなってしまうのと同義でしょう。

 どうせ、死ねば全てが無くなる。その一言はあまりにも重い事実を語っているように見えて、僕はその反証を探し続けていた。

 

 それさえ知れば、死ぬことが怖くなるような何かがきっとあると思っていた。だって、そうでなくてはこの社会がなりたたない。学校なんて、会社なんて行っている場合じゃないんだから。

 そう考えて、僕は色々と調べて見た。それは宇宙についてのことであったり、生物のことであったり、哲学であったりした。乱読に見えて、その実、一つのことだけを探していた。

 この世界で虚無でないもの。

 しかし、学べば学ぶほど、残酷なまでに子供の思い込みは破壊されていく。どうやら、天国も地獄もないようで、輪廻転生を期待することは出来なさそうだ。それどころか、魂なんてものもないぐらいで、意識というのは反応の複雑さ、情報の統合を指すらしい。人間なんてものは、所詮、猿の一種でしかなくて、自分に近い種類を滅ぼしたから孤高に見えるというだけだ。

 その知識が、仮説が、事実と異なっていれば良かった。けれど、僕が知っている範囲では全く矛盾が生じず、むしろ、皆から常識と呼ばれるものの方が間違っているとはっきりとわかってきた。

 すると、僕は困ってしまった。生きている理由がなくなってしまったのだ。

 

 僕というものは現象である。それは極論をすれば、複雑な台風のようなものと言ってもいい。物質由来の現象で喩えるなら、そう、雷と言ってもいいかも。雷に存在理由、ありますかね? ないですよね。ただ、物理的にそうなっているから、それは発生した。僕だってそうなんですよ。驚いたことに。

 人間のあらゆる要素は、ほとんど進化的に有利であるという結論に辿り着く。ああ、勘違いすべきではないのですが、進化することは別に目的じゃないんですよ。進化というメカニズムを持った生物、つまり物質が、より残りやすいってだけなんです。子孫やら生殖やらに希望を見出すことも出来なさそうですよね。だって、子供は自分の遺伝子の一部の情報が同じってだけなんですから。もし、子供を産まなくても、遠い未来に、自分の子供と同じ遺伝子の人間が生まれてくることもあるんですよ。で、それがどう救いになるって言うんですか? 結局、人類は遠かれ近かれ絶滅し、宇宙は熱量的死を迎えるってわかっているんですから。

 

 大変なことになってしまった。

 これでは、生きるための理由が見つからないじゃないか!

 

 こうやって言うと、だいたい、このように反論される。

 

 曰く、そんなことは考えても仕方ない。

 ――なら、明日の糧と老後と子供の学費のために働くのも同じでは? どうして、生死という根幹に対してだけ、その魔法を使って、些事に対しては愚直に受け止めるのだろう。全てに対して白痴になればいいとでも言うのか。

 曰く、生きる意味は自分が生きていくうちに見つかるものだ。

 ――論理的に存在しないと証明できるものに対してそれを言うのは残酷だ。四つの角を持った三角形を探す行為に等しいように思えるよ。

 曰く、全くその通りで生きる意味はないが、生きていくこととは矛盾しない。

 ――完璧。その通りだね。でも、それなら、今すぐに死んでもいいのでは?

 

 つまり、僕が問題としているのは、この点なんです。

 

 僕は死にたくなくて、それはただ単純に怖いからであって、感情的な理由でしかない。論理的に僕が死なない理由っていうのがなくて、根拠薄弱なんですよね。だから、それを探しているんです。「私はこのために生きています。だから、死なないんです」って言えるようなものを。でも、僕にはそれが見つけられていない。だから、焦ってしまう。

 感情的に怖いからという理由で、目的のない人生を歩んでいく。そう心に決めたところで、生きていく上で何の行動指針も示してくれないんですよね。僕がどのように生きればいいのかってことは、今のところ、ずっと脳に巣くっている問題なんですけど、それに対する答えにはならない。

 生きていく指針が欲しい。目的もなく荒野を彷徨っているかのようだ。目的地が蜃気楼だって、オアシスの幻覚だって、僕は構わなかった。それを本物だと思い込んで、そこに突っ込んで死んでしまえるのなら。でも、初めから幻だとわかっているところには行けないよ。だって、苦しいし、疲れているもの。そこに行ったって絶望して死ぬだけだし、そもそも途中で苦しさに耐えられなくなる。この労苦が、この虚無感が癒されるところに行きたい。でも、そんなところがなさそうだと理論的にわかっている。

 

 僕はどうすればいいんでしょうね。まだ、結論は出ていない。

 ただ、僕は死ぬのが怖いから生きている。死ねば、その怖いのも無くなるよ、なんて理論的な提言を聞かないようにしながら。