「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の感想 パート3

 続き。まためちゃくちゃ長くなった。

 

<狩りのレヴュー>

 けりを付ける、と言われても、何の話なのか、わからない純那。

 しかし、大場ななは、電車のシーンを映し出す。やっぱり、根に持っている。『今はまだ』という諦観を。質問もいっぱい書いていて、ファン心理(まあ、純那は新国立を受けるつもりはないけれど)が抜け切れていない。そうやって、腐りきっていくのならば、美しいうちに自死を。

 切腹は、やはり、三島由紀夫モチーフだろう。軍服だし。純那は文学少女でもあるので。単にオタクが好きな衣装とも言う。

 序盤、純那は偉人の言葉という矢を用いて、戦う。弓を使っているので、狩人は純那の方であり、優勢であるように見える。対するななは、二刀流が牙にも例えられるように獣側。がお。

 しかし、渾身の一撃は、ななに真っ二つにされる。届かない。あの過去の舞台にも。ななが切り、砕くのは、弓に付いた宝石。上掛けではない、舞台少女のキラめきそのものだ。

 君は、愚かで眩しかったよ……なんで過去形なのよ……

 そして、純那は自身の言葉(宝石)で、ななの武器で、戦うことを決意する。殺してみせろよ、大場なな! いや、もう、ここの盛り上がりと言ったら、もうすごい。というか、口上は全部、パンフレットで確認できる(めちゃくちゃ助かる)んだけれど、他人の名前が出てるのは、純那だけなんですよね。そういうことです。まあ、ほとんど、名前は出てこないにせよ、特定の誰かを含んでいる口上だけれど……

 手が届かないトップスタァたち、そのキラめきにより盲目になっているとななが指摘するが、純那は言い返す。(彼女の方が過去の舞台のキラめきに囚われていて)今のキラめきが見えていない、という。この舞台の主役、星見純那が。そして、ポジションゼロを踏み越えて、その先の大場ななに引導を渡す。

 私の純那ちゃんじゃない、というのは、大場ななが囚われている(目を奪われている)過去の愚かだった純那すらも超えた、ということだろう。

 大場ななから星見純那に向けた泣いちゃった、からの、星見純那から大場ななに向けた泣いちゃった、の対比とリフレイン。まあ、一番泣いちゃってるのは、観客なんですけれどね……完全に余談なんだけれど、2回目観た時、隣の人がめっちゃ落ち着きがなくて(僕に指摘されるということはもう、不審者レベルの落ち着きのなさということです)リアクションがおもしれー奴と思っていたのだけれど、マジで号泣してた。まあ、僕も泣いていたんですが……

 そして、再演がようやく終わった大場なな。ここのニュアンスをみても、繰り返したりしてないと思うんだよなぁ。ようやく、ロンド・ロンド・ロンドも含めた過去の執着を捨てられた大場ななと見るのが自然だから。でも、やっぱり、まぶしい。執着は捨てられても、輝かしい日々は輝かしいままなんだ……(´;ω;`)ブワッ

 

 

<魂のレヴュー>

 初見で一番、解釈が難しかったのがここなので、未だに間違っているかも。

 動物将棋をしていて、ひよこが可哀そう、ということを真矢が言う。これは、結構重要なことだと思っていて、おそらく、成らず(成功せず)にやられてしまうひよこ(自分とは違う雑兵たち)を可哀そうと思っているのだと思う。ロンド・ロンド・ロンドとかのオーディションでも、自分を白鳥と例えていて、レヴューの場所も、鳥バード2018(!?)となっているので。みにいくあひるのこ、ただし、みにくいあひるは自身が白鳥であることを知っている。

 クロディーヌは、この動物将棋をしている時点で、気付きを得ている。真矢という存在とのレヴューに満足して、その先を見るつもりがなかった。つまり、クロはここで気付きを得ていて、この先は、真矢に気付きを与えるフェイズになる。クロはこの先、けりを付けるためだけにレヴューへと向かう。

 劇中劇から入り、真矢は全ての舞台に立った(?)哲学者であり、役者である舞台人、クロは悪魔だ。最高のキラめきを見せるが、その時には魂をいただく、という契約を結ぶ。

 真矢はライバルという役を演じたクロに感謝する。つまり、本当のライバルではなく、あくまで、自分の引き立たせる役として、相対していただけだというわけだ。

 

 ここらへんで、初見者を完全に困惑させる『神の器』という用語が出てくる。僕も最初は混乱していたのだけれど、2回目の視聴で、これは序盤の劇中劇の台詞(?)に出てくる、人間は『神の舞台の道化』というの対立項なのではないかと思っている。神に用意された舞台で踊る道化ではなく、神自身の器となることで、演じさせられるのではなく、演じるのだと。そのために、空っぽである必要がある(感情のままに踊らされるのは道化の役割だ)。感情を持たない。ゆえに敵愾心もない(ライバルがいると認めない)。そういうことなのかと。実際、後でも、感情が醜いという話をするので。おそらく、将来の進路も、新国立が一番の場所だから、一番の存在である自分が向かう、という思考停止的な、感情を加味しない、自然と向かうべき場所と捉えているのかなと。だから、新国立がすごい場所である、ということばかりを彼女は言う。自分がそこにどれだけ行きたいか、という感情はあまり出てこない。

 でも、これは驕りなんですよね。そもそも、全ての舞台を演じた(だっけ?)という舞台人の設定からしてそうで、まだまだ未熟な、学校で一番(それも大場ななの存在であやしい)でしかないだけ。なのに、全ての舞台を演じる、『神の器』とまで大きく出ている。なので、クロディーヌがその驕りを切り捨て、等身大の自分とその感情に気付かせる、というレヴューなのかなと。真矢の魂を再発見するためのレヴュー。

 そして、これは解釈違いもあるかもしれないが、『神の器』は鳥(おそらく、白鳥?)の体に、ひよこの頭を取り付けたような、そして、体位として逆さまな姿をしている。おそらく、その身(天堂真矢)に合わない頭(『神の器』という名)を取り付けた、ということかも。そして、それは未来に向かって羽ばたくことはできない。ので、逆さま、かな? 深読みかも。

 舞台が進み、This is キャンセルで、真矢の調子が狂ってくる。感情が強くなっていく。クロディーヌの煽りと口上もこの辺だったはず。そして、クロディーヌが役を捨てて、本来の姿に戻る。そして、偽りの姿、『神の器』の頭(つまり、それは『神の器』という概念そのもの、偽りの頭、名だ)を切り取る。そして、落ちた鳥から、真矢が本来の姿として戻ってくる。これは不死鳥でもあることを指しているのだろう。偽りの頭はその炎で熔けてましたよね、確か。偽りゆえの融解と見るべきか。

 確か、ここで口上を言うんだけれど、最初に『輝くチャンスは不平等』と入っているので、ひよこの解釈は正しいのかなと思っています。意見募集中。

 そして、ここのラストの幕入りで、「誇りと驕り」のメロディが入ってくるんですよね~!(高ぶり) それを歌わせるのは、クロディーヌというところがまた……あ、この辺や、この前の驕りのニュアンスとかも、パンフレットの音楽担当の方々のインタビューを参考にしています。ファン必見のパンフレット。

 で、前述したように、感情にまみれた姿が醜いというが、皮肉にも観客が観たいのは、その姿である、とクロディーヌに看破される。そして、今が一番カワイイ、との声に、いつもカワイイ、と返す。僕たちはいったい、何を見せられているんだ……

 哀れな道化、という話も確か、この辺で出てきた。違う、ライバル、とクロは返す。このやり取りからも、『神の器』の対比が、『神の舞台の道化』という見方は合っているかなーと思った。(というか、厳密に言うと、2回目のこの台詞で、この対比がわかったんだけれど)

 わたしには、あなたを!

 西條クロディーヌ、貴方は美しい……というのは、まんまメフィストフェレスというかゲーテの「ファウスト」ですね。悪魔との契約。そして、悪魔に魂が取られる、わけではなく、恋人によって、救済される、という話……だったはず。まあ、ここでは、悪魔も恋人も同じ人であるクロディーヌなわけなんだけれど。僕たちはどういう顔をすればいいんだ……ニヤニヤ、すればいいと思うよ……

 まあ、なんだ。これからも、末永くお幸せに……

 

 

<最後のセリフ>

 『わたしにとっての舞台は、ひかりちゃん』という台詞があるが、これはロンド・ロンド・ロンドにおけるクライマックスの言葉で、答えでもあるんですよね。しかし、劇場版の答えとしては、間違いなんですよ。価値の逆転~!
 この舞台も、何もない、空っぽな舞台なのに、その背景には、ひかりの手紙、それがそのまま、ひかりとの約束だけが、華恋の背景になっている、ということがわかる。

 ひかりは先に来ていて、すでにトマト(客から渡された栄養)を食べ、血肉を得ている。しかし、華恋はまだ、足元の客に気付いていなく、前述のように、ひかりだけをみている。その盲目さゆえに、TV版では強かったが、劇場版では弱い。約束は、あくまで、『二人でスタァライトを演じる』なので、それが終わると空っぽになってしまうことに気付いたのだ。

 そして、幕が上がり、客、つまり、僕たちに気付いてしまう。これぐらいが上品な演出というものです。まさか、実写映像を流したり、なんてしないよな、傑作は。その客に気付き、その恐怖に相対した華恋は、舞台少女としての死を迎えてしまい、舞台から一度、降ろされる。再生を、復活を願われて。

 しかし、死する舞台少女であったのは、ひかりも同じなのだ。回想において、幼少期の舞台のキラめきに恐怖し、ひかりは諦めようとした。しかし、華恋が、誘ってくれたから、その約束により、よみがえることができた。目を開いた。ピエタのモチーフによる復活の描写だ。ただ、ここで、ポジションゼロが7つ(華恋とひかり以外の九十九組と同じ数)あり、それぞれに布がまかれているのだけれど、その意味が良くわからなかった。学識不足。死者から伸びた布を持つことになんか意味があるんだと思います。

 そもそも、怖いから、みないし、聞かないし、調べない、というのは作品を一貫するテーマの一つにもなっている。しかし、それに相対してこそ、成長する。華恋にとって、それは昔、ひかりだったが、今は観客である。ひかりもまた、今の華恋に目を奪われ、ファンになることが怖かった。

 だから、今は、舞台で待つ。

 再生産に照らされ、華恋はポジションゼロに、十字架に、墓に、棺桶に入れられる。

 しかし、始発の電車の上に載せられて、線路を爆走する。これによって、今まで(線路に乗っていた)過去を振り返っていく。そして、砂嵐の中へと突っ込む。主人公が磔刑になっているのも、荒野の嵐に入っていくのも、まんま「マッドマックス 怒りのデスロード」ですね。この構図。いや、大元ネタがあるかもしれないが。

 そして、舞台の上からのひかりの声。

 それを聞き、華恋は過去を燃やせ、燃やせ、で燃料にして、手紙すらも焼き切って、ロケットエンジンを滾らせ、線路から飛び立って、舞台へと突撃する!

 もう、本当に、ここの、ここの復活、再生産ですよ。素晴らしすぎる。もう、2回とも号泣してしまった。この構図。完璧だ。最高すぎる。電車に乗って、加速しきって、次の舞台へと飛び入り参加するというね……ここはパンフレットにあるように、「ジーザス・クライスト・スーパースター」ということで、ロックかつ、救世主、主人公の復活ですね。T字の十字架から復活を遂げる。

 舞台の上に、スタァは一人、とひかりの口上にはある。二人で、というところを乗り越えた先にいる。

 最後のセリフ。

 貫いてみせなさいよ、あんたのキラめきで。

 意外にも、届かない華恋の刃。そして、逆にひかりの刃、キラめきで貫かれた華恋は言う。

 わたしも、ひかりに負けたくない。

 呼び捨て。約束の相手ではなく、ライバルとしてみている。これが作品の答えなんです。泣くわ、そんなん……そして、ポジションゼロに突き刺さる約束タワー……壮大過ぎて涙引っ込んだわ……解釈にもよるのだが、逆位置の塔は、改革を示すので、これはTV版と同じですね。再生産。

 運命というものの弱さも、劇場版で強調されましたね。信じるしかないものであり、それに依存してしまう。強さも貰えるんだけれどね。

 レヴュースタァライトを演じ切って、空っぽになった華恋に、観客からの栄養=トマトがひかりによって渡され、次の舞台を探しに行く……もう最高だ……泣く……いや、何回泣いてるんだ、こいつ……

 

 

<エンディング>

 進路が変わったのは、星見純那と大場なな。いや、大場ななさん、世界で一番入学が難しい王立演劇学院(だっけ?)にさらっと入学しているんですが……流石、一番の天才ですわ。やはり、魔王だな、今回のでそれがわかったよ。まあ、過去に囚われて舞台を用意するとか、完全にヴィランの動きですからね……

 

 そして、相変わらず、1番で呼ばれる愛城華恋。今、この時にもオーディションへ。

 

 完璧な作品だ……そして、放心へ……

 

 

 まあ、こんな感じかな、という感じです。全部まとめての感想ですが……

 早くサントラ出してくれないとマジで狂ってしまいそうなんだが? BDとは言わないからさ……

 という感じです。あともう一回は必ず観に行くと思います。僕にとって、3回の映画館の視聴というのはめちゃくちゃ破格なことなので、自分でもびっくりしている。そもそも、観た翌日にまたチケット取ったのも初めてだったと思うし……それだけ好きな作品です。