王道の構成

 面白い作品は、事件の途中から物語は始まる。事件の発端は明かされない。とにかく、何かが始まっているので、視聴者はそこを疑問に思って観続けてくれる。最近観ている「ID: INVADED」も「ワンダヴィジョン」もどちらもそうだ。

 もちろん、そのままでは、視聴者は何が何だかわからないので、工夫は必要だ。

 一つは、主人公たちも忘れている状態からスタートするというもの。上に挙げた2つは両方ともこれだ。主人公たちと視聴者たちは、事件の中心から、その発端と終わりを探っていくことになる。

 一つは、別の人物を事実上の主人公とすること。「魔法少女まどか☆マギカ」を考えるとわかりやすいだろう。まどかは何も知らない状態で、事件の渦中に放り込まれることになるが、ほむらは多くの事象を把握しており、終盤では、彼女が事実上の主人公となっていく。

 一つは、別の世界、別の時間軸、前世など、別の場所や時間で事件を始めておく手法だ。今、この世界においては、主人公は何も知らないが、事件の発端となる状況においては、主軸となる人物だった。ただ、この現代ではそうではない。「ゼーガペイン」などを考えればよい。まどマギはこちらの要素もある。というか、基本的には合わせ技で使われることが多く、「ID: INVADED」も「ワンダヴィジョン」もこちらの性質を併せ持っている。

 多くの物語は情報量が足りなすぎる。多くの物語は順当に始まりすぎる。多くの物語は必然性が足りなすぎる。視聴者の理解力をなめてはいけない。面白いのならば、ちゃんと考えてみてくれる。面白いのならば、ね。