魂みたいなものを信じてるのはどういう理屈によるわけ?

 化学的に生命の話をしている本を読んで思ったのだけれど、人間に魂があるみたいに思っている人は、どういう思考回路の論理でそうなっているのか不思議に思った。

 まず、人間のみに魂があるとする理論。現実的に考えて、進化論の正しさは間違いがない。ローマ教皇でさえ、認めてしまっているほどだ。で、そうなると人間というものの定義があやふやになる。たとえば、ネアンデルタール人アウストラロピテクスホモ・ハビリスは魂があるの? たとえば、最初のホモ・サピエンスから魂が生まれたとしても、種族というものの定義は非常に曖昧で、分類学でも未だに喧々囂々の議論がなされており、ホモ・サピエンスネアンデルタール人と交雑していることが明らかになっている。この時、魂はどうなるのかね。しかも、別にこの個体からホモ・サピエンスですよ~ってなるわけではないのだし。彼らにとって、進化はポケモンぐらいの明確さを持って行われるものだと思っているのか。明確な区切りがないのだから、その前は~と無限に過去に戻れることになる。史上初と言われている脊索動物のピカイアにも魂はあったし、彼は、『ああ、僕の子孫が地球で繁栄してて良かった~君たちの心の中で行き続けられて幸せ~』となっていたに違いないとなる。しかし、その生物でさえも、真核細胞に遡れ、その元は細菌と古細菌のキメラであり、その前はRNAであったわけだ。それに魂ってありました? 子孫、残ってて良かった~って思ってます?

 つまり、完全に論理は破綻している。この生命というものは、あくまで物質でしかなくて、大元をたどれば炭素や窒素、水素に酸素だということで、それが自然現象の中でも特異な複雑性を持った現象を生み出しているということでしかない。僕の思考や意識も潮の満ち引きと何ら変わりはない物理現象だというわけ。

 それなのに、魂みたいなものを信じている人が多すぎる。確かに、それを信じるといろんな問題が一気に解決して簡単に生きられるようになるよ。でも、そんなのは獣の生き方じゃん。人間は考える葦なんだから、考えないと。と思うんだけれどなぁ……