信じることに関して

 僕は何かを信じる時に、それを選ぶ時に、どうしてもう片方を選ばなかったのかという明確な理由が欲しいのだと感じた。だから、僕は宗教を信じることが出来ない。だから、僕はオカルトを話のネタとしてしか考えることが出来ない。

 つまりさ、数多の宗教が同じようなことをうたっていて、その全てに証拠はないのだから、どれを信じるのも自由でしょう? それって、意味があるように思えないし、どれか一つだけを信じ切ることなんて出来やしないと思うんだよね。だって、ふとした時に考えてしまわないのかな。目の敵にしている相手の宗教に、生まれた場所が違えば、出会った順番が違えば、入信していたかも、なんてことを。そして、それは事実なのだから。

 僕が生きている理由を見つけたい、少なくとも、死なない理由を見つけたいと思っているのもそれなんだよね。

 基本的に僕は証拠があり、再現性のあるものしか納得することが出来ない。だから、死んだら、自分という現象は消え失せてしまって、どこにも行かない、ただの無だって事実をはっきりと理解している。だから、自然と虚無主義者のような思想になってしまう。

 どうせ死ぬのだから、どうせ人類は滅亡してしまうのだから、どうせ宇宙は凍結するのだから、生きている意味なんてない、なにをする意味もない。けれど、皆は言うでしょう? ならば、何をしてもいいんだと。積極的に生きていけばいいのだと。でもさ、なら逆も言えるじゃないか。何もしなくてもいいと。どうして、ニーチェの言うところの超人、あるいはそれに類する存在になる必要があるのか。虚無を超越しなければならないのか、それがわからない。納得が出来ない。そちらを選ぶのだ、という明確な理由が欲しいのだ。そして、それが出来ないから、いつも悩んでいる。積極的に生きていく、虚無な生き方を超越する、そう思い込めるだけの理由が欲しい。

 そんなもの、ありはしないのにね。

 結局、僕がどう生きていけばいいのか、哲学は答えてくれなかった。世界の真実も全く教えてくれなかった。科学だけが、ベールを開かし、その無機質な現実を曝してくれた。ただ、その先、どうすればいいのか。そこにはどんな学問も役には立たなかった。

 どうせ、死ぬ。

 その事実だけが、僕の信じるただ一つのことだ。そして、それがどうしようもなく怖い。怖すぎて、他のことが目に着かなくなるぐらいに。